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逸口香 〜原料集散地に定着か〜

楠田製菓の逸口香(左)。常滑市の一口香(右下)に比べるとかなり大型。右上は長崎市のもの。いずれも中空で内側に黒糖がはりついている

 「中身が空っぽだ!」子どものころに初めてかじりつき、驚いた菓子「逸口香(いっこっこう)」。きつね色にこんがり焼けた「皮」の中身は空洞で、ねっとりとした黒糖がはりついている。佐賀県内はもちろん、同じ肥前の長崎県や、愛知県常滑市でも親しまれている珍菓だ。
 佐賀県内では佐賀市、塩田町が生産の中心。同町の楠田製菓は昔ながらの製法を守り、経験を頼りに生地をこね、こまめに火力を調整して片面ずつ焼く。「手間がかかり、能率は上らない」と楠田雄一郎さん(三七)。
 楠田さんの祖父が製造を始めたのは大正十二(一九二三)年ごろ。すでに塩田には多くの同業者があったが、いつ、だれが作り始めたかはっきりしない。製造元は減り、今は二軒を残すだけだ。

空心餅とそっくり

 この菓子の起源について、全国銘産菓子工業協同組合副理事長の村岡安廣さんは、中国山西省の「空心餅(くうしんもち)」が形を変えて日本に伝来したと見ている。外見はもちろん、中空の形状も酷似しているからだ。空心餅は菓子としてではなく、中空の部分に肉や野菜を挟んで食べる伝統料理として受け継がれている。
 北京で「空心餅」と見た時、村岡さんは太宰府市の名物「梅ヶ枝餅」も頭に浮かんだ。中にあんが入り原料がコメに変わっているものの、外見は空心餅とそっくり。

文化が伝来する良港
逸口香や梅ヶ枝餅の原型となった中国の「空心餅」中空の形状でもちもち感がある

 佐賀以外では「一口香」と表記する。長崎市では一八四四年に「唐饅頭(とうまんじゅう)」の製造が始まり、後に「一口香」と名付けられ、長崎街道を通じて佐賀へ伝播(でんぱ)したと考えられる。楠田製菓の逸口香が昭和三十年代まで直径三―四センチであったことから、小型の形状で佐賀に伝わり、のちに直径七―八センチと大型化したようだ。

片面が焼けると、すばやくへらで裏返し反対側を焼く。火加減には最新の注意が必要だ=楠田製菓

 焼き物で知られ、近くに良港がある愛知県常滑市。「一口香」は文字通りの一口サイズで茶菓子として最適。市内の老舗「風月堂」の口上書に、一六五九年に尾張藩主が命名したという記述があり、肥前よりも歴史が古いようだが、なぜ尾張に伝わったのかは不明だ。
 四国の宇和島にも、逸口香と酷似した「唐饅頭」があった。鍋島藩の姫が数回、輿(こし)入れしているので、その際に肥前から伝わったものではないかと考えられる。残念ながら、現在は生産されていない。
 肥前、尾張の共通点について「中国文化が伝来する良港があり、豊かな穀倉地帯と小麦や砂糖の集散地のため定着したのでは」と村岡さん。
 なぜ厚みや堅さが違い、佐賀だけ「逸」の字を当てたのだろうか。逸口香の伝播時期や経路とともに謎も多く、興味は尽きない。

 

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